五島灘「新焼酎 紅芋」

五島灘「新焼酎 紅芋」

 

五島灘酒造(長崎県南松浦郡)

 

税込価格 1800ml 2,860円 / 900ml 1,650円

 

-五島列島の芋焼酎"五島灘"の臭くて甘い新焼酎-

 

蒸留直後の白濁した見た目と特有のガス臭が特徴の季節限定の新焼酎。

今年は蒸留機→検定タンク(ここで割水)→瓶詰と、

移動を極力減らすことでガス感をより味わっていただける仕上がりになっています。

 

新鮮な紅芋を白麹で仕込むことで、焼酎本来の濃厚な旨味と華やかな香り、

そしてやわらかな甘やかさを感じさせます。

新焼酎のガス感を強く感じますが、開栓してガスの香りが落ち着くと

紅芋特有の甘い香りがでてきて味わいの変化を楽しめます。

 

呑み方はお湯割りがオススメです。85度~90度くらいのお湯で5:5で割ると、

ガス香も立ちますが、紅芋の香り、甘さもより味わえます。

ロックや水割りでも紅芋の甘さが感じられるのでおススメです。

炭酸水で割りたい場合は、氷なしで常温の炭酸水で割った方が新焼酎の香りも残しつつ

さわやかに飲めると思います。ぜひおためしください。

 

 

原材料:紅さつま(全量自社栽培)・米麹(タイ産米)

麹菌:白麹

蒸留:常圧

ALC度:25% 

 

【2024 裏ラベルについて】

昨年同様、高校卒業後芸大へ進学したSOMAさんと、中学卒業後、島外の美術の高校へ進学した

SOMAさんの弟であるKAITOさんが描きました。

 

・頭ヶ島天主堂

頭ヶ島天主堂は、1919年に竣工され、2018年には、潜伏キリシタンの構成資産として世界文化遺産に登録されました。

五島に訪れた時に是非体感してほしい代表的な文化や景色を頭ヶ島天主堂と合わせて表現しています。

空になびく五島うどん(日本三大うどんの一つ)、五島の郷土料理かっとっぽ(はこふぐ)、町花の椿、五島神楽の獅子

 

・キャンプ

五島の自然の中でお湯割りと焚火を楽しむ様子。

「西村キャンプ場」(TV番組)が昨年の仕込み時期に蔵を訪れたそうです。

蔵の横でキャンプをさせて欲しいという突然の要望に驚いたそうですが、

楽しそうにキャンプをする番組の皆さんが印象的だったそうです。

 

・相撲

第50代横綱 佐田の山 晋松(さだのやましんまつ)五島(合併前 有川町)出身の横綱。

佐田の山の功績を知ると、自分の可能性を信じて努力する事の大切さを改めて実感したそうです。

「小さな島の大きな挑戦」を焼酎造りにかさね表現したそうです。

 

・弁財天祭り

五島の有川地区はかつて捕鯨で栄えたまちだそうです。

毎年1月に家内安全と豊漁を願う鯨歌と太鼓の音が朝から晩まで鳴り響くそうです。

各地区のせいねん団や学生たちが、100件以上の民家や商店、飲食店を周る伝統的なお祭りだそうです。

鯨の顎の骨でできた鳥居の海童神社で鯨歌を奉納する勇壮な姿を表現したそうです。

 

・天狗

五島神楽の舞の一つ「獅子舞」で現れる天狗。

例大祭の際には、お神輿とともに地域を歩いてまわるそうです。天狗からお祓いを受けて健康に過ごしたい

お年寄りからは歓迎されますが、子供達には恐れられる存在です。そんな天狗がサーフィンをする様子を描いたそうです。

 

・龍船(じゃぶね)

長崎くんちの出し物の一つである龍船を描いています。長崎市は10月になるとおくんち一色になります。

 

¥2,860

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【五島灘誕生物語】

平成19年、当時25歳の田本佳史さんは、福岡で建設会社現場監督をしていました。

お父様は長崎県上五島で建設会社の社長。佳史さん曰く相当な猪突猛進タイプだったそうです。

そのお父さんが町役場町づくり推進課の島の農業活性化の為の芋焼酎メーカー設立募集の話を聞き、「是非やりたい!」と思い、申請に行きました!(お父様、よっぽど焼酎好きなのかと思っていたら・・・ビールを少し飲む程度との事)

五島列島では米は作れない為、多くの家が芋(食用の紅あずまを家庭分)を作っているそうで、農家はもともといませんでした。多くの島民が漁業、建設業です。そんななかでの芋焼酎造り、芋の栽培のお願い、親父さんはどんどんと進めていったそうです。

それと並行に製造免許の取得へ!免許は申請を受理されてから半年かかるそうです。(不備が無ければですが・・)

お父様は平成19年4月に申請しました(無事申請が通れば10月から製造の予定)が、残念ながら不備発覚・・その後様々な事も重なり申請が通ったのは2月13日でした。

その間もラベル作成(五島灘という名前をお父様が考え、お母様がラベルの字を書きました)等着々と進みました。9月頃、お父様は猪の如く動き回りましたが、体調を崩し病院へ。そこで医者から肺がん、余命一か月と宣告されました。そして約4ヶ月後の1月9日に他界されました。

ここで初めて田本佳史さんが呼ばれます。今まで家業の建設業を勉強のため東京恵比寿で頑張っていた田本さんは 親父さんが今までガンガンと進めていった芋焼酎の世界へ急遽入る事となりました。

製造は半年延長したものの芋は契約されたままの状態で、製造が出来ない蔵には30トンの芋が届いたそうです。(今となっては笑い話ですが・・・)

その後ようやく免許を取得。ついに!田本佳史さんが仕込を行なう事になりました。

大量入荷の芋は防空壕で保管し、何とか製造できる芋を使用して始まったそうです。

初めは素人の焼酎造り。鹿児島県の麹屋さん(河内麹さん)に電話で仕込みや温度を確認しながら始めは造ったとの事。河内麹では焼酎造りも行っており、そこの杜氏の新西さんがとても丁寧に教えて下さったそうです。

製造では仕込温度がどんどんあがってしまい電話。「35度にならないように!」「対処法としてタンクに水を掛けながら撹拌しかない」と言われ、お母様に水を掛けてもらいながら徹夜で撹拌し続けた事もあったそうです。

Facebookもやっているので是非ご覧ください。

長くなりましたが、上記のようなお話もありますが、当店として大切なのは美味しいお酒を皆様にご案内することもちろん、五島灘は大変お勧めです!甘みがあり、優しく素直な味わいです。